カチガワ録音雑記

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ずっと考えてたこと

ずっと考えていた事がある。
[しない善より、する偽善]についてだ。
本当にそうか?
それでいいのか?
その方が良いのか?
ずっと考えていた。
馬鹿なりに、ようやく考えがまとまったので、書いてみよう。
自分は「世界を変えるのは、人々の揺るぎない、強い意志の力によってのみ成し得る」と思っている。
自分に不利益を生じようとも、絶対に貫き通す力。
ましてや貧困を無くすとなれば、国を突き動かす程の強く大きな意志の力が必要だろう。


「セレブが着けてるから」「流行ってるから」
そのような意志であの白いバンドを購入し身に着けたところで、いったい何が変わるというのか・・・
「始めはそういう意識でも、そこから貧困に目を向けてもらえれば成功だ」
という。
だが、上記のような意識の者は、購入し、それを身に着けた時点で満足する。
満足したならば、そこから先は無いだろう。
せいぜい、「これでセレブと一緒」「着けてるオレかっこいい」程度の事しか感じないだろう。


更に、このところ、ホワイトバンドがめっきり売れなくなっている。
ウチの店では、年内で取り扱いを終了するそうだ・・・
ウチのような目立つ店が取り扱いを止めるという事は、他所でもだいたい止めるという事か。
このまま風化していくのだろう。
ホワイトバンドフェスがその締めくくりか。
出演者が、金のかかった大掛かりなステージの上から「貧困をなくそう」とでも訴えるのだろう。
行くのはそんな彼らのファンだけだ。
活動に関するパンフレットを貰ったとしても、読むのはせいぜい帰りの電車の中というのが関の山だろう。


ホワイトバンドを取り巻く人々の意志の殆どはこのようなものだ。
繰り返すが、世界を変えるのは、人々の揺るぎない意志の力によってのみ成し得ると自分は考えている。


偽善はいつまでも偽善でしかない。
善に変わる事はない。




この活動を知った最初の印象は「セレブの自己満足」「金持ちの免罪符」。
残念ながら、それは今も覆される事はない。




何を今更書いているのだと思うかもしれない。
しかし、この運動は今もって継続中であり、
何よりも世界の貧困は少しも無くなってはいないのだ。