ゴジラシリーズ全部観た(実写のみ)
ようやくゴジラシリーズを全て観終えた。ミレニアムシリーズ、なんだあれ!2000からファイナルウォーズに至るまで全部ダダスベリが過ぎる。はっきり言って苦痛だった。末期の昭和シリーズもむちゃくちゃだが、楽しめるポイントはあるし、なにしろ最後まで観させる力がある。平成シリーズ、1,2作目は個人的な思い入れもあって好きだが、その他は凡作。シナリオは大概ヒドいし、特撮はまあまあ、つまり凡作。結論としては、ハリウッド最高!である。以下、個別に。
ゴジラ(1954年)
とにかく生々しい戦争の記憶が刻まれていること。それに尽きる。ゴジラ禍に見舞われた人々の様子を描いたシーンは秀逸。いつ観ても胸を抉られる。
ゴジラの逆襲(1955年)
こちらもなかなか渋い。戦火から立ち直る人々の逞しさが描かれている。間違って微速度撮影で撮ってしまった為、異常に素早い動きの怪獣バトルが見られる。
キングコング対ゴジラ(1962年)
早くもコミカル路線へシフト。怪獣バトルはプロレスの様相を呈し、この時点で基本的な立ち回りは完成されている。コングの造形がオリジナルとはまるで違う*1ものであったり、決着を曖昧にしたりと、当時の北米との力関係が如実に表れている。決着は59年後に。
モスラ対ゴジラ(1964年)
この2作を以って悪役としてのゴジラは終わり。既に“核の恐怖”その象徴といった意味合いは薄まっている。手堅い作りの娯楽映画で、概ね楽しめる。が、「黒塗りの日本人が未開の部族を演じる」という今では完全にアウトな表現がある。名誉白人のオリエンタリズム。
三大怪獣 地球最大の決戦(1964年)
ここからはっきりと子供向け映画に。ゴジラはコミカルな愛すべきキャラクターとなっていく。キングギドラ初登場。都市破壊シーンが見モノ。悪役ギドラが最も輝いていた作品。自らの意思で地球へ飛来し、破壊の限りを尽くしたのはこれっきり。後は宇宙人の手先に成り下がってしまった。威信回復には55年の歳月を要すこととなる。ゴジラシリーズ初登場のラドンだが、単独デビュー作「空の大怪獣ラドン(1956年)」はほとんどのゴジラシリーズを上回る傑作。
怪獣大戦争(1965年)
「シェー」で有名なやつ。あとX星人。予算も含め、この辺りまでが昭和ゴジラの黄金期だろう。ラドンと言えば"ゴジラの良き相棒"というイメージを持っていたが、そのような扱いは前作と今作の2作きりだった。幼少期の自分がラドンを好きすぎたゆえの、単なる思い込みだったらしい。
ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966年)
赤イ竹。メインの冒険活劇は割と見応えがある。怪獣バトルはおまけ程度。でかいエビとの戦いを見させられてもね。元々はゴジラでなくキングコングを主役に据えた脚本だったとか。
怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967年)
熱帯の島が舞台。「過酷な環境にメンタルやられた社員を、帰国させるどころか励ましてなんとか働かせようとする」「島の自然環境を激変させて食糧問題を解決しようとする」という幾重にもヤバいストーリー。制作当時、メンタルヘルスや環境保全に対する意識がいかに低かったかがわかる。ミニラがどうしても細野晴臣か樹木希林に見えてしまう。クモンガの操演技術が見モノ。今作に於けるゴジラの造形は温和な表情を心がけたとのことだが、目の上が極端に飛び出ていて変だ。
怪獣総進撃(1968年)
とにかく怪獣がたくさん出てくるので、子供の頃は大好きだった。それが再見してみると、怪獣たちがキングギドラを集団リンチしているようにしか見えずゾッとした。悪いのはキラアクで、ギドラも被害者なのに…。ストーリーは近未来の月探査、異星人の侵略とマインドコントロールというちょっとしたSF風味。小林夕岐子の美しさが光る。
ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃(1969年)
東宝経営不振のあおりを受け、大幅に予算が削られた。以降のシリーズは「東宝チャンピオンまつり」の一編として低予算の中で悪戦苦闘する事となる。今作では、怪獣は子供の妄想の中にしか出てこない。いじめられっ子の成長譚で、怪獣ものというよりジュブナイルものの小編と見做す方が自然。内向的ないじめられっ子が悪ガキになるというオチに仰け反った。ポスターには“ずらりならんだ九大怪獣世紀の決戦”とあるが、表題の3体を除き全て過去作フィルムの使いまわし。決戦も何もあったもんじゃない。偉大なる東宝東和の誇大コピー、そのルーツを見た。
ゴジラ対ヘドラ(1971年)
公害問題を訴えかける強烈なテーマソング。どサイケなゴーゴーバー。唐突に挿入されるアニメーション。暗闇に佇むヘドラの威容。それでいてゴジラが空を飛ぶなど、子供向けサービスも忘れない。低予算の中でやり切った怪作。ところで劇中でゴジラが繰り返すキメポーズ、いくら調べても何のパロディだかわからなかった。プロレスラーか何かだと思うんだけど。今作に出演の木村俊恵さんは、この後『仁義なき戦い』で山守親分の妻役を演じ、歴史に名を残すこととなる。
地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン(1972年)
尺を稼ぐためか極端にスローな怪獣バトル、ほぼ使い回しの破壊シーンなど、悲しいくらい予算のなさが伝わってくる。キングギドラなんかほとんど動かない。おまえ何しにきた。ガイガンの造形は当時の子供に大ウケしたそうだが、それだけに勿体ない。意外とメインストーリーの出来は悪くない。
ゴジラ対メガロ(1973年)
テレビの特撮ヒーローもの+プロレスのタッグマッチを怪獣で。火薬もミニチュアもいらん、ガソリンさえあればいい。あとは中の人の体力で勝負だ。低予算を力技で乗り切ったむちゃくちゃな一本。
ゴジラ対メカゴジラ(1974年)
とにかく子供心にメカゴジラはあまりにも魅力的だった。そしてその魅力を存分に引き出して見せた怪獣バトル。ゴジラ(とキングシーサー)が全身武器のメカゴジラにしこたまミサイルを撃ち込まれるシーンが見モノ。最終的にゴジラは超能力(磁力)を使って勝つ。昭和のゴジラは何でもありだ。
メカゴジラの逆襲(1975年)
観客動員数は歴代ワーストながら、特撮、ストーリーともにそう悪いものでもない。いかんせん「東宝チャンピオンまつり」に似合わない重苦しいストーリーなので、当時の子供にはウケなかったと見える。ここで昭和シリーズは終わり。
ゴジラ(1984年)
人から見たゴジラのスケールと恐怖をうまく描けていると思う。リアルタイム(当時5歳)で観たが本当に怖かった。思えばKOMの怪獣描写にとてつもなく心奮わされたのも、この時の体験が原点だったのかもしれない。ゴジラ禍に対する政府首脳陣の様子も念入りに描かれ、シン・ゴジラのルーツとも思えた。金子信雄と加藤武のちょっとした掛け合いがあり、仁義なき戦いファンとしてはたまらない。ここから平成vsシリーズと呼ばれる。
ゴジラvsビオランテ(1989年)
子供の頃はビオランテの造形がひたすら魅力的に映り、小難しいストーリーも分かったつもりになって楽しんでいたように思う。バイオテクノロジーや超能力、テロリストとの攻防といった要素もそこそこうまく扱えている。平成vsシリーズでは一番の出来。とにかくビオランテが最高。
ゴジラvsキングギドラ(1991年)
ターミネーター2の劣化パクリには当時小学生の自分ですら苦笑したが、概ね楽しんだように思う。特撮映画としてはまぁ普通の出来。
ゴジラvsモスラ(1992年)
冒頭がインディ・ジョーンズの劣化パクリ。大ブームだったT2をパクるのはまだわかるが、このタイミングでこれは辛い。別所哲也扮する主役のトレジャーハンターが自分のことしか考えていないどうしようもないクズ男。それがなんと最終的に元妻とヨリを戻し、娘とそろって家族再出発という結末に。なぜこんなのとヨリを戻すのか理解に苦しむ。怪獣バトルどころじゃない。ゴジラのついでにこのクズ男も退治したら良かったのに。モスラの造形が30年経ってもほとんど進歩がないのもどうなんだろう。
ゴジラvsメカゴジラ(1993年)
これを最後に劇場へ足を運ぶのを止めた。なにせ5カ月前には「ジュラシック・パーク」が公開している。資金力の差が大きすぎるとはいうものの、色々と辛すぎた。「特撮の現実感は決してCGには出せない」みたいな決まり文句も、あちらの圧倒的な面白さの前では霞む。で、今あらためて観直してみると、平成vsシリーズとしては平均的な出来、普通。肝心のメカゴジラは“直立でホバリングしつつ砲撃する”という残念極まる運用方法で、あのフォルムに全く必然性がない。リアリティを追求したのか予算の関係なのかはわからないが、いずれにせよそれが面白さに寄与していない。劇場で観ていて本当にがっかりした。
ゴジラvsスペースゴジラ(1994年)
とにかく出来が悪い。各シーンの繋がりや人物描写の積み上げもうまくいかないままクライマックスに突入し、どうやらアツイ感情を呼び起こしたいのであろうシーンを見せられ終わる。こちらはずっと平熱なままだ。特撮シーンとの相乗効果など一切ない。柄本明の無駄遣い。作劇、脚本や演出を今一度学びなおしてほしい。
ゴジラvsデストロイア(1995年)
シリーズ最終作。前作の反省が活かされたのか、平均値に戻った。しかしながら“ちょっとした展開や演出を用いて効果的にスリルやサスペンスを生む”ってことが全然できてない。(例:あるシーンで3時間というタイムリミットを設定しておきながら、直後のシーンで既に3時間経過してしまっている。時間設定が全く意味を成していない。)まあこんなもんだ、このシリーズは。特撮は力が入っており、そこそこ華々しい最期を遂げられたと思う。
Godzilla(1998年)
ハリウッドが作ったゴジラ。これは劇場まで観に行った。当時は「こんなもんゴジラじゃねぇ」と憤った。今見ると良くできた(良くある)モンスターパニックもので、普通に楽しく観られた。とはいえ、トカゲと恐竜をごっちゃに考えているであろう制作陣には言いたいことがある。長くなるからここではやめておくけどな。主役が「フェリスはある日突然に」のマシュー・ブロデリック。成長してもかわいい顔のまま。
ゴジラ2000 ミレニアム(1999年)
阿部寛なんなの。この後5作続くミレニアムシリーズには、すべて以下の文言がつけ加えられます。「脚本演出全てうんこ。無駄なカメオで尺を稼ぐな。事務所とスポンサーの都合を最優先させて作ったゴミ映画。二度と観ない。」
ゴジラ×メガギラス G消滅作戦(2000年)
ブラックホールが強烈に光るってどういうこと。そして静止画エンド。2時間ドラマかよ。
ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年)
特撮シーンだけは力が入っているものの、その他すべてが苦痛。人間の写っているところを全部飛ばして、特撮だけ観ると良い。もっと言えば、ミニチュアセットだけ観ていたい。あれだけは本当に見事。
ゴジラ×メカゴジラ(2002年)
厨二。あまりに厨二くさくて笑える。力の入ったバトルは見ものだが、何しろ釈由美子が笑える。
ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS(2003年)
引き続いて厨二。メインキャストの演技が全てうんこ。
ゴジラ FINAL WARS(2004年)
悪夢のミレニアムシリーズもこれで終わり。マトリックスみたいなのがやりたかったんだね。怪獣もいっぱい出てくるけど、それだけ。ゴジラいらねーってなる。ひたすら突っ込みながら見られるという点では楽しい映画。この監督の「ミッドナイト・ミート・トレイン」ていうホラーはグロ面白いよ。
Godzilla(2014年)
とにかく怪獣に対する畏怖が感じられて好き。演出が総じて素晴らしい。冒頭、死の灰を思わせる映像が徐々に熱帯のジャングルに変っていくとこからして秀逸。ゴジラのチラ見せ具合も、海から出てくるところも吠えるところも全てたまらん。放射熱線のシーンで泣いた。そもそもIMAXのカウントダウンで泣いた*2。人間ドラマ部がクソとか平成ガメラじゃんとか色々言われているけど、これがクソなら平成以降のほとんどの国産ゴジラはクソにすらなれていないと思う。ところでなぜこんなにもこの映画の演出にやられたのか。それは劇場で観るゴジラが98年以来、いや、あんな恐竜とイグアナのハイブリッドでなく、放射熱線を吐く怪獣に限定すれば、実に93年以来だったからだ。それ以降の国産ゴジラはソフトでも全く観ていなかった。つまり物凄~~く久々だった。だからこそ、今作の勿体ぶった演出も“王の帰還”を称えるものとしてたまらなく感動したんだろう。映画鑑賞にはタイミングが重要。自分にとっては、ゴジラへ回帰した記念すべき作品。
シン・ゴジラ(2016年)
国産ゴジラで54年版と比肩し得るのはこれだけ。ハリウッドと比べても、CGでは仕方ない部分があるにせよ、高い特撮技術と組み合わせることで見劣りしないものに仕上がっている。ゴジラの禍々しい造形が素晴らしい。なんといっても東京中枢を火の海にした放射熱線のシーン、あれだけで満点だ。特撮なのに人間のアクションシーンを無くして、全編会話劇にしたのも良いアイディアだと思う。前半が本当に面白い。後半になると『サマーウォーズ』のばあさんが電話をかけまくるシーンみたいな寒い描写が増える。キャッチコピーは「現実対虚構」だが、劇中での日本政府の有能さはゴジラと並ぶレベルの虚構。つまり正確には「虚構対虚構」だ。
Godzilla: King of the Monsters(2019年)
CGはこの映画を作るために進化した。東宝の特撮映画は、マイケル・ドハティ監督を育てるために、そしてこの映画を作らせるために存在した。そう言い切れる。これは怪獣(タイタン)を神として崇める宗教映画であり、作中の全ては神の威光を知らしめるためにある。従って「ドラマパートが云々」などという批判はまるで意味をなさない。神々の闘いの前では、人など地べたを這い回る虫けらだ。虫けらを気にかけているヒマなどないのだ。Long Live The King.
まぁ、言ってしまえば完全に頭のおかしい映画なんだけど、ギリシャ神話のティーターノマキアーや北欧神話のラグナロクにワクワクしたことのある人ならわかってもらえると思う。明らかに宗教画を意識したであろう神々しいカットの数々、魂が奮えた。
しかし4K版ソフトがフィギュア付きしかないのには参った。東宝そういうとこだぞ!(19年12月17日追記:フィギュアは届いたその日に売り払った)
Godzilla vs Kongの感想はこちら↓ モンスターバース最高!
SxSxS
"Moment of Truth delivers a heavy brand of beatdown taking cues from Japan Hardcore legends Straight Savage Style and Dyingrace."
と公言している通り、完璧なEnd90s~Early00s関西極悪ハードコアスタイル。で、fromフロリダ。常に低い重心、唸るハーモニクス。余りにも物騒。コピーバンドと言ってもいいくらいそんまんまだけど、「今、これをやる」ってそのセンスを支持。最高すぎる。KRUELTYとのスプリットも出すという事で、そちらも期待。
しかし時を超えて関西からフロリダに繋がるって面白い。きっとこれ観たんだろうね。
8月10日
山下達郎の中野サンプラザ公演へ行ってきた。念願のホーム公演。さてどんな雰囲気になるのやらと期待していたが、これがいつもの名古屋公演と全く変わらないものだった。この人のプロ根性は、場所によってテンションや出来映えが左右されるような生易しいものではなかったのだ。過去7回も観てきてそんな事も分からなかったのかと、自分の認識の甘さを痛感。ただ、中野は名古屋会場より1000人ほどキャパが少ないため、演者と客の距離が近くて良い。ちなみに名古屋会場は達郎が使う中では最大規模の会場だそう。肝心の内容はもちろん最高。心配していた喉の調子も全く問題なし。後半の畳みかける展開でもファルセットに逃げることなく、スコンと抜けきった完璧な歌声。なんなんだこの66歳。凄すぎる。一生ついて行きます。ちなみに名古屋公演は抽選外れた。
ついでに寄った中野ブロードウェイではインフィニティ・ガントレットの実物大レプリカが見られて大満足。自分のようにフィギュアやグッズ類を一切買わない人間でもホットトイズの製品は凄いと思う。http://www.hottoys.com.hk/
ブログを1カ月書かない間にトリエンナーレの事*1、香港の事*2、日韓の事*3、京アニの事など酷いことが立て続けに起きた。本当に嫌になる。達郎が先日の中野公演のMCで「今の世の中が殺伐としているのはSNSのせいだ」って言っていた。全部が全部とは言えないまでも一理あると思う。目的のためなら手段を選ばないタイプ、デマやウソを躊躇いなく使うタイプの人間と相性が良すぎる。彼らは人の不満や欲求に付け込むのが本当にうまい。SNSは単にきっかけにすぎず、元からあったものが可視化されただけという言い分もあるだろうけど、可視化と伝搬のスピードが速すぎる。理性や倫理の積み上げがないままやって良いものではなかった。一方で、香港市民の生の声はSNSがなければ伝わっていなかったように、メリットもあるにはある。けど、どう考えてもデメリットがでかすぎる。じゃあどうするのって話なんだけど、ひたすら負け続けながら理性と倫理で抵抗していくしかないんだろうね。
選挙終わったな
鬱々とした気分になることが多すぎてなかなか正面から向き合えなくなったけど、それでも投票は行く。当然、共産党に入れた。具体的かつまっとうな政策を掲げているし、絶対に現政権に迎合しない固い政党だからだ。けれど残念ながら選挙区のすやまさんは落ちた。義母は、妻がいくら言っても投票に行かなかったし、それどころか逆ギレした。投票率も5割を切った。いろんな人と日常的に政治の話をしていくしかないんだろうけど、話をしようとしてもつい感情的になってしまう。まず今の政治に対して腹の立つことが多すぎるんだ。正直もうギリギリのとこまで来てる。政治に無関心でいられた時代はとっくに終わりを告げているものの、なにしろこれで数十年やってきたのがこの国。特に不況に陥ってからの世代は「諦めること」「現状を受け入れる事」「空気に迎合すること」を処世術として身に着けてしまっている。ここをひっくり返すには物凄く大変な努力と時間が必要なんだろう。その前にこの国は潰れてしまうと思う。資源も労働力もない、観光くらいしか売りのないこの国で、現政権のようにリソースを食いつぶす政策を採り続けるのであれば、そう遠くない未来に底を打つだろう。その時になっても、明確な責任の所在や問題点をうやむやにして、一億総ざんげ的な、がんばろうニッポン的なものに収束していくんだろう。この国はそういう国だ。たまたま一瞬浮き上がってみせただけの田舎国家。そんな中でも諦めず、何とか民主主義の生命線を繋いでいこうとしている人たちには頭が下がる。いくら絶望しても、そういう人たちの足を引っ張る事だけはしたくない。
7月14日
egg condition at Huck Finn, Nagoya, July 14, 2019
ハードコアとはつまりこれだ。大切なのは速度。物理的な意味でもそうだが、それよりも体感速度こそが重要。敢えてフロアでやってるのもアツい。
6月23日
Tokuzoで山本精一・bikke・大友良英のライブを観てきた。
①bikke*1ソロ。bikkeさんの唄声は30年変わらぬ瑞々しさ。大好きな「ゼロ」もやってくれた。ラスト数曲で山本・大友両氏が参加。大友さんはバッキングに徹し、山本さんがリード。日本海の荒波をイメージした曲にハワイアン風のフレーズを充てる山本さん。いつもながら自由だ。ラスト、山本大友両氏が同時にソロをとり、そのメロディの重なりがとても美しかった。
②山本・大友。「教訓」~「死んだ男の残したものは」を連続で。出てくるなり即座に歌い始める大友さん。場の空気が張り詰めていく。両曲とも反戦フォークだが、両者の演奏はノイズ寄りのインプロ。昨今の世相のきな臭さもあり、歌詞の重みが何倍にも膨らんだ。今やるならこの方法しかないと思わせる説得力。凄まじい気迫を感じた。山本さんがこういったメッセージ性の強い曲をやるとは。かなり意外だった。今やすっかり一流の劇音楽作家となった大友さんだが、キレ味は全く衰えていなかった。完璧なトーンコントロール。痺れた。今日の演奏をパッケージして発売してほしい。
③3人そろってカバー、オリジナル等織り交ぜた演奏。2部までで出し尽くしたのか、和気あいあいとした雰囲気。と思いきやここでまたも反戦歌をぶち込む山本さん。2部のアプローチ再び。全く動じないbikkeさんさすが。*2 やっぱりこの路線で何か作品残してほしい。残すべき。そしてアンコール前ラストは「永遠のうた」永遠のうた!この3人のギターで!bikkeコーラス!なんて贅沢なんだ!
というわけで、想像以上に充実したライブだった。
Really, Really, luv it.
遂に出たshe luv itのアルバム、これが凄まじい。
https://mousejp.bandcamp.com/album/s-t
ドラムが青野忠彦に代わってから一度も観られずにいたんだけど、こんな事になっていたとは。瞬発力とキメ細かさ、そしてパワーを兼ね備えた青野氏だけど、このバンドでは重さとグルーヴに特化。これが強烈。バンド全体もこのグルーヴと一体化、巨大なうねりとなって聴くものを呑み込んでいく。音楽性は別ながら、まるで精力的に活動していたころのCorruptedのように感じた。青野氏は明らかに長谷川チュウを意識していると思う。特に7曲目(bandcampでは5曲目)のイントロは顕著。もともとこのバンドはセンスが抜群で、"様々なバックグラウンドを持つメンバーが集まって最終的にビートダウンに落とし込む"その手腕が見事だった。始めたころから既に世界のどこにもないバンドだった。それが今や、更に、全く別次元に突入してる。メンバーがエンジニアも兼ねているそうだけど、録音も秀逸。大傑作。
追記
メンバー兼エンジニアはyoriという方で、SxSxS, Immortality, atmosfearの中心人物だったそうで。曲中連発されるハーモニクスももちろんこの方。どうりで完璧なわけだ…。ドラムもこの方がビートダウンのノリやタイミング等具体的に指導したとのこと。あそこまで実践できる青野氏も凄いけど、いやはや…。