カチガワ録音雑記

地域の皆様に愛されて100年。カチ録は街の情報発信基地。

「ミニシアター系も観なきゃな」などと言っていた矢先、お誘いがありシネマテークに行ってきました。

『コロッサル・ユース』
古くからカーボ・ヴェルデ諸島出身のアフリカ系移民が多く住む、リスボン北西郊外のフォンタイーニャス地区。住民たちは開発に伴い建てられたばかりの近代的な集合住宅へと強制移住させられる。そんな移民労働者の一人で、34年この地区に住んできたヴェントゥーラは、突然、妻のクロチルドに家を出て行かれてしまう。
途方に暮れ、荒廃した貧民窟と新しい集合住宅の間を行き来しつつ、彼は、自身が「子供たち」と信じる、ヴァンダやベーテ、レントたち若い住民を訪ね歩き、対話を重ねながら自分の場所を見出そうとしていく。
1997年の『骨』、2000年の『ヴァンダの部屋』に引き続き、フォンタイーニャス地区にカメラを持ち込み、撮影された本作は、同じテーマでの第3作目となる。
現場にはデジタルカメラと録音機(DAT)、三脚などの最小限の機材でのぞみ、照明はほぼ自然光のみで撮影された。撮影期間は15カ月、週6日かけ、時には1シーンにつき20から30テイクも繰り返された。記録された映像は、60分テープで320本にも及んだ。
出演者には、ヴェントゥーラやヴァンダをはじめ、プロの俳優は一人もいない。
すべて、その地区の住人やペドロ・コスタの知人・友人たちである。しかしこの映画をドキュメンタリーか劇映画かを分類することは不可能であり意味がない。
ペドロ・コスタにおいては、映画はドキュメンタリー、フィクションの枠を越え、人間についての、土地についての壮大な叙事詩となる。
ポルトガル原題は「Juventude em marcha」。英語題の「Colossal Youth」は、ウェールズ出身のアリソン・スタットンとスチュワート&フィリップのモックスハム兄弟による3人組ユニット、ヤング・マーブル・ジャイアンツの同名アルバムから連想されている。ちなみにこのアルバムがこのバンド唯一のオリジナルアルバムである。

http://www.cinematrix.jp/colossalyouth/

少ないセリフと長回しのカットで淡々と二時間半。とはいえ「引きの映像と格言めいたセリフで思わせぶりなシーンを演出」てのとは真反対の、暮らしそのまんまのどうでもいい会話をほぼ自然光のみ、定点カメラによる絵画のような映像で映し出していて、ドキュメンタリーとフィクションの合間を行き交うような、幻想的なのにリアルな映画に仕上がっていると感じました。とても静かな映画なせいか、席のあちこちから寝息が聞こえました(笑。個人的には、意味ありげな勿体ぶったセリフよりも、こういった普通の会話の方が眠くならないですね。移動のシーンが一切なく、5箇所ほどの場所を何度も巡って進行するんですが、実はそれぞれの場所の時間軸が違います。途中までは、それに気付かなくても成立するような描写で、しかも主役の風貌に手を加えていないため(ハンチングを被る程度)、ちょっと混乱しました。劇中、唯一音楽が流れるシーンが、主役がカーボ・ヴェルデの革命歌のレコードを聴くところ*1カーボ・ヴェルデの独立が1975年7月5日。その頃既に主役はポルトガルへ渡っていたものの、そこで起きた革命(カーネーション革命。1974年、40年以上続いた独裁体制に終止符を打った軍事クーデター。ほぼ無血で達成。しかし、移民にとってむしろ恐怖だった事が監督のインタビュー記事を読むと判る))よりも帰れる見込みのない故郷となったカーボ・ヴェルデでの独立の方が輝かしい出来事である。という事を物語っているシーンなんですが、観た時はカーボ・ヴェルデはおろかカーネーション革命すら知らない*2状態だったんで、ちょっともったいなかったですね。
監督は小津安二郎が好きらしく、かなり影響も受けているらしいんですが、小津映画を観た事がないので何ともいえません。

*1:この音楽がいかにもラテンのプロテストソングといった風情でえらくかっこいい。これの一曲目。ググっても国内で買えそうなとこがない!

*2:たぶん学校で習ったとは思うんだけど忘却の彼方